公共性と倫理への問い (カントを読むフーコー)
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目次
はじめに
なぜカントなのか
『人間学』が描く世界
2. 近代の主体は自律的か — 『監獄の誕生』から「統治性」研究へ 近代の主体は規律によって作られてきた
規律とは何か
「批判とは何か」 — 反統治と啓蒙の自律
3. 自己関係と共同性 — 『生きるものの統治』から『自己への配慮』へ
カント哲学と自己関係
自己への配慮とエゴイズムの違い
自己への配慮ととっての他者との共同体
自己への配慮とカントの啓蒙の関係
参考文献
読解
はじめに
つまり、自己への配慮という教えは、それが私たちにとってはむしろ自己中心主義とか引きこもりを意味するものであるのに対して、かつては何世紀ものあいだ、極度に厳格な道徳の母胎となるような肯定的原則であったという逆説があるのです
1982年 コレージュ・ド・フランス講義より
(ミシェル・フーコー『ミシェル・フーコー講義集成11 主体の解釈学』)
もう少し具体的に本稿のテーマを明らかにしておこう。フーコーは、カントにおける「近代性」とは何なのかを生涯にわたって考えつづけた。その思索の歩みは、 1) 真理についての近代の知の限界を画定する
2) 権力と主体形成についての近代の実践を明らかにする
3) 自己との関わりと公共性(倫理性)の在処についての「近代性」(モダニティ)の可能性を示す
の3つの軸に沿って理解することができる。
彼(ミシェル・フーコー)は、1960年代には 1) について、1970年代には 2) について、1980年代には 3) について、それぞれ中心的に問いかけた。それぞれの時期にカントをどう位置づけたかと関連させてフーコーの思想をたどることで、その変遷と底に流れる問いの持続とを同時に把握することができるはずだ。
そして最後に、冒頭の引用にある「自己への配慮」というテーマに、晩年のフーコーがなぜたどり着いたのかを示そうと思う
なぜカントなのか
近代とは、あるいは近代的な思考とはどういうものだろう。そこには多様な特徴を持つ諸思想が含まれる。しかし「近代性」という特徴を分け持つすべての思考には「個人を単位として、世界あるいは人間社会を見る」という共通の思想があるのではないか。
単位として個人にまで社会を一度ばらし、個人同士のつながりから政治社会を再構成した代表的思想家にホッブズがいる デカルトの「惟う我」(おもうわれ)は、誰かと対話するのでも相談するのでもなく、ひたすら内省をつづけることによって「考える自分」の確実性へと至る カントもまた、個人を単位とする哲学を展開した。彼は、人が何かを知る(認識する)場合に、その限界はどこにあるかを考えた。思考の限界を知るというこの営みは「批判」と呼ばれる。何かを理解し、認識する場合に、人間特有の「枠」があって、その枠の内側で、あるいは枠に条件づけられてしか、人は認識することができないとカントは考えたのだ
ではその枠とはどんなものか。それは身体の比喩を用いるなら、眼の構造によってものがどう見えるのかが決まるのに似ている。認識の枠の場合には、もちろんそういった身体的で物理的な枠ではない。それは人間の思考が必ずその中でなされる条件であり、たとえば時間・空間という枠の中でしか、人は生起する出来事を捉えることができない、といったことだ。
だがカントは、こうした個人の思考の枠を定める哲学を作ることによって、一つの難題を抱え込むことになる。それは近代的な思考、個人を単位とする哲学全てにつきまとう問題でもある。
人間社会を個人にまでばらしてしまったら、その個人が他の人々と関わり、また世界と関わるそのあり方を、どのように位置づければいいのだろうか。個人にまでばらされた人間は、なぜどのように他者と関わり、あるいは関わらなければならないのだろうか。
これはとても単純な話なのだが、不思議にもあまり強調されてこなかったように思う。ばらばらにしてしまったものについて、ではそれをどうやってもう一度くっつけるのかが問われるのは必然だ。人が社会に生き、この世界に生きる以上、他者や世界と相互作用せざるをえない。だが個人から出発する近代の思想は、他者や世界との関係を自らの体系のうちに矛盾なく位置づけるのが苦手なのだ
フーコーは、カントがこの問いにどう答えようとしたかを、長い間さまざまな角度から考えつづけた。
(カントの『人間学』『実用的見地における人間学』は、最晩年の書籍) 『言葉と物』の核となるテーマの一つにカントの位置づけがある ここでフーコーは、カントの哲学が「経験に先立つもの」と「経験的なもの」との間の往復運動によって成り立っているとする
人間の経験というのはそれを可能にする枠があってはじめて成り立つ。眼に特定の構造なり属性があってはじめてものが見えるように。経験は枠によってあらかじめ規定されている。この枠は「経験に先立つもの」「アプリオリなもの」と言われる。この枠がどんなものかを考察するのがカントの批判哲学で、超越論哲学とも呼ばれる。 だが一方で、経験に先立つ枠は、経験的なものによって規定されないわけにはいかない、というのがフーコーの考えだ。そのため「経験的なもの」と「経験に先立つもの」とは互いに互いを参照しながら往復運動を繰り返す。これがフーコーによるカント哲学の見取り図となっている
この往復運動そのものを示し、またカント以降の人間に関する考察(人間をめぐる科学)のすべてが、こうした往復運動の中で展開するというのが『言葉と物』の主張だ。 (そのことを踏まえると、フーコーは「言語論的転回」から一連の動きもそういった「往復運動」として捉えてる可能性がある)
(観念論は個々人に落とし込まれるそういう哲学。原子論的。それを捨て去る動きが「言語論的転回」、というのが僕の理解)
フーコーは、1959~1960年、博士論文の副論文として、カントの『人間学』をフランス語に翻訳した。
カントはドイツ語で書いた
そこにうけた序論には『人間学』におけるカントの記述が「批判」の裏側で、それを補いつつ、その超越論哲学を支えているという考えが示されている
カントは『純粋理性批判』で、個としての人間が何かを知るとはどういうことか、普遍的であらゆる人間に妥当するような認識の条件はどんなものかを探求した。
他方『人間学』では、世界の中にいる人間、具体的で地理的時間的に限定された場所に生き、そこで周囲の人と言葉を交わし、特定の知的文化的歴史的な背景のもとに育ち、そうした文脈の中でものを考え行為する人間について考察した。
『人間学』が描く世界
『人間学』とは文化の歴史でもなければ、文化の諸形態の分析でもなく、あらかじめ有無を言わせぬかたちで与えられてる文化の実践の考察である。
これは言い換えると、人間の他者関係を具体的で日常的な「慣用」( usage ) の場面で捉えることを意味する
つまり『人間学』で考察される事柄は、時間や場所にかかわらずあらゆる人間に共通して認められる認識の条件や、またどんな人にも妥当する道徳法則を定めようとする三批判書の試みとは全く異なるということだ。
カントはここで普遍的な人間、つまり他から切り離された個人や人間の分析に代えて、具体的な場所を占め、そこで言葉を交わし食事を共にし、多様な相互行為のうちにある人々の日常的なあり方を考察する。
この後に『カントの人間学』から、夫婦関係(妻が不貞を働いている夫婦)引用がある ここにあらわれているのは特定のかたちをとった実用的な自由である。その実用的な自由においては、要求と狡知が、怪しげな意図と人目をあざむく隠蔽が、主導権を握ろうとするひそかな企みが、そして忍耐と忍耐とのあいだで成立する妥協が問題となる。
『人間学』のカントは、人が具体的な他者関係の中で、自由な主体、あるいは権利の主体という自らの社会的属性を便宜的に利用しながら、互いにふるまいあう場面を描いている。相手を抑え込もうと画策し、反発することで力関係を変え、否認すること自体が承認することを意味し、裏をかいて主導権を握ろうとする。そういう駆け引きを含む戦略的な関係が、経験的な人間世界の錯綜する網目を作っているのだ。
この関心の延長上に、フーコーは、人間の実用的な自由の世界、慣用の世界、アプリオリを支える経験的なもの、そして他者関係と相互行為の歴史的具体的なあり方への関心を、「権力」というテーマへ結びつけていく
2. 近代の主体は自律的か — 『監獄の誕生』から「統治性」研究へ 近代の主体は規律によって作られてきた
「近代における個としての人間は、ほんとうのところ何によって作られ、ささえられているのか。そしてバラバラにされた個人は、いかにして他者と、世界と関わるのか」
フーコーは研究の出発点から抱いていたこの問いへの答えを、一般的な意味での人間の社会性や、言語コミュニケーションに典型的に見られるような相互行為といった場面に見出すことを拒絶した。
言語哲学とか分析哲学と呼ばれるものを暗に指していると思われる
彼が答えを見出した場所は、なんというかとても独創的で、ふつうはちょっと考えつかないものだ。フーコーは1970年代に、近代の個人、あるいは主体を作ってきたのは「規律」( discipline )、権力だと主張した。そして個人は、規律によって主体化されることを通じて、他者および世界と関わり、その中に場所を占めているというのだ。
(フーコーの)『カントの人間学』によるなら、カントは、認識する主体(『純粋理性批判』)、倫理的主体(『実践理性批判』)、判断する主体(『判断力批判』)という、いずれも普遍的で、誰にでもあてはまるはずの人間としての存立条件(可能性の条件、あるいは人を規定する枠)を示した。他方で『人間学』では、この世界の特定の場所を占める具体的な存在としての人間を取り上げ、これらの人々がいかなる他者関係を結び、世界の中で自らの位置を占めるか、を考察した。
『監獄の誕生』のフーコーは、カントが普遍的であるとした、認識し、倫理的に行為し、判断する主体(三批判書の近代的主体)が、ほかならぬヨーロッパ近代という地理的歴史的条件の下だけで生まれたことを重視する。そしてさらに発展させる。近代の主体は、『人間学』の舞台となるような経験的具体的な世界の中で、どうやって生まれ、作られたのだろうか。
『監獄の誕生』の一節
「自由を発見した啓蒙時代は、一方で規律を考え出したのだ」
カントの主体、すなわち自由で、自律的で、自分の行為に責任を持ち、他者に対する法的・道徳的義務をはたし、自分の認識の限界を知った上で、理解し、思考し、判断する主体は、徹底した規律化によって作らだされてきたのだと。
ヨーロッパ特有の主体の作られ方とはどのようなものなのか。
規律とは何か
規律はさまざまな期限や由来を持つ些細な技術の寄せ集めだ
『監獄の誕生』の話
(省略)
多くの人々を特定の目的の下に収容し、管理し秩序を保たなければならない場所ではどこでも、規律の技術が用いられている
つまり近代人は、規律の技術を通じて監視され管理され自分を見つめさせられ時間割に従わされ決まった動きをくり返させられることで、従順で御しやすい身体を持ち自らを道徳化する習慣を身につけた、「自律的主体」へと形成されていくのだ。
「批判とは何か」 — 反統治と啓蒙の自律
そうして『監獄の誕生』はスキャンダラスな書となった
というのは、自由で、自律的で、誰にも指図されず、自らの決定にしたがって行為できる個人であるはずの近代的主体が、それとは正反対のもの、従属や訓育や監視や管理によって作られていると言ったのだから
この本にたいしては、暇な学者の退屈な批判とは別に、社会からは大きな反応、影響があった
刑務所改革運動、反精神医学運動、性的マイノリティの運動、学校改革、フェミニズム、
といった社会の中の少数派の立場にある人々が、自分たちが置かれている状況を把握し、改善しようとする活動
『監獄の誕生』には「規律に対する反規律」という作用 — 反作用の関係、規律化に対する反発の運動についての記述がみられる。
だがしかし、それを単なるメッセージにするような意図はない
彼は切り取らなければならないのだ。現実を、人が見ることも気づくこともない角度から。そして同じものを別のしかたで示すことで、世界の表面をはがしてその下にあるものを見せる作業をつづけなければならない。
そのためにフーコーがとったのは、規律という近代ヨーロッパに現れた権力のテクニックを、一般的な配置の中に位置づけるという方向だ。
規律は、人を管理し統制し秩序を保つ一つの技術・権力行使のあり方として、18~19世紀にヨーロッパ中に広まり、やがて世界に輸出された
「統治」
規律を一部に含む、集団に秩序を与え、人と人との関係を制御し管理することに関する知識や実践を「統治」と呼び、それについての歴史を描くことを構想する
近代ヨーロッパでは「どのように統治するのか」が主権国家の出現とともに喫緊の課題となり、その中でさまざまな組織や制度、新しい学問知識や人々の管理のあり方が広まっていくことを考察した
講演「批判とは何か」1978年
統治される側の反発や自由、そういう意志の表明を、カントの哲学と関連付けて捉えようとする
フーコーはカントにおける「啓蒙」というテーマに焦点を当て、カントの論考「啓蒙とは何か」を考察する。 批判哲学(三批判書)は、人間の思考の限界を定めることで、、人が考え得ること、成し得ることの範囲を画定しようとした。人間のできることにはどんな限界があるか
「啓蒙」のうちにはこうした限界画定とは異なる側面が含まれていると主張する。啓蒙とは、限界を知ることではなく、いまこの現在から「脱すること」を意味する。それはカントの時代、啓蒙の時代においては、人間が未成年の状態から脱して大人になることだとされた。カントの哲学は、批判の試みも啓蒙の営みと関連づけて捉えられるべきだと考える その営みは、自分自身を何らかの限界の内に閉じ込めるためではなく、自分たちの現在の状態を知ることでそこから脱するための行為である
カントは「いま」とはどういう時代なのかを強く意識していた。それは「いま」と過去とを比較することでも、「いま」を文明の巨大な流れの一部として捉えることでもない。「いま」を「現在」として、ある特定の状態から脱して別のあるべき状態への移行がはたされるべき時点として捉える
「自分と自分との関係」
カントの啓蒙において「自分と自分との関係」が重要である。自分がいまどのような状態にあり、自分たちはいまどんな時代、どんな社会に生きているのか。そこを脱するための条件はなにか。そのためにはどのように自分自身と関わらなければならないのか
主体化について
このことを、規律を内面化する主体、あるいは他者や外部から強いられた規範に自己を適合させ、自ら進んで自分を監視し規律を課す主体として捉えるべきなのだろうか。
1970年代末のフーコーは明らかにこれとは異なる道筋をたどろうとしていた。
人間と世界との関わり → 他者との関わり → 自己との関わり
この向きではなく、自己と自己との関係という次元を始点として、他者関係、世界との関係を捉え返す
自己と自己との関係 → 他者との関わり → 世界との関わり
「自己統治」「自己への配慮」「自分と自分が関わること」の主題へ
3. 自己関係と共同性 — 『生きるものの統治』から『自己への配慮』へ
カント哲学と自己関係
復習
カントの哲学は、人間を現にある社会からいったん引き離して、個を単位とする共同体を一から組み立てなおすといううホッブズの試みの延長上にある。これが「近代性」の思想すべてが共有する大きな前提で、ここで人はみな例外なく「個人」として見られ、そこから出発して世界が考察される。
だが、そうなると、バラバラの個人からどうやって共同性を作るかが深刻な課題になる。ただ単に人が集まるだけではこれは達成されない。では凝集力があり、あるいは秩序のもとになる倫理や道徳を伴う、つまり中身がある共同性をどうやったら見つけ出せるのだろうか。
倫理的主体
そこでは、倫理とは何らかのしかたで構築されなければならないものとなる。また倫理的主体も、構築あるいは構成されてはじめて存在する。
カントはこのことに自覚的で、自らを倫理的主体として構成するとはどういうことかを考えた。自律的な倫理的主体を、自分と自分との関係の中ではじめて存立するものと捉え、人間が未成熟状態を脱して自ら大人になることを啓蒙の内実とした。それが達成されてはじめて人間は倫理的主体となる。
フーコーはカントのこの側面に注目するまでに、議論が大きく迂回しているように見える
わざわざ遠回りしている
まず『監獄の誕生』で、人間は権力の介入によって、他者から特定のやり方で干渉されることによって、主体として構成されると主張した。だが、規律や統治がつねに反規律や反統治とともに現れることを考察するうちに、倫理的主体としての自己構成には、他者からの強制を出発点としたのでは見えない面があると考えるようになった。
1980年代のフーコー
まったく逆のベクトルから、自己と自己の関係から出発して、倫理的主体としての自己構成を捉える試みをはじめる。
自分と自分の関係からスタートする
まず個人があって、そこから社会を作り、共同性を作るというのではなく、
人間は、自己との関係、他者との関係、共同体との関係といった、さまざな関係の層のなかにある、というのが自己関係を捉える際の前提となる
ここにカントの試みが形を変えて蘇る
自己への配慮とエゴイズムの違い
自己構成や自己に配慮することとエゴイズムの違い
冒頭の引用(リプリーズ)
「つまり、自己への配慮という教えは、それが私たちにとってはむしろ自己中心主義とか引きこもりを意味するものであるのに対して、かつては何世紀ものあいだ、極度に厳格な道徳の母胎となるような肯定的原則であったという逆説があるのです」
現在の世の中の論調として、自分のことだけを考える、自分の利益だけを優先することが、大きな悪癖であるとされている。
しかし、近代の根幹をなすう個人中心の価値観、すなわち個人主義と、私的所有と自己利益を基準とする経済体制、すなわち資本主義にとって、自分中心に考えふるまうことは不可欠の前提である。
自己優先の原則がなければ資本主義は成り立たず、近代とは、なによりも自分を優先する人間によって作られる社会なのだ。
だが、自己優先があまりにも強くなると社会がバラバラに瓦解してしまうことも、近代のはじめから指摘されてきた。偏狭なエゴイズムに陥る、その行き過ぎに歯止めをかけることが大切だと言われてきた。
フーコーは、近代のエゴイズムとされるもの、自分の中に引きこもり他者や世界への配慮に欠いた自分だけの狭い世界で皆が心を閉ざしバラバラになってしまうような、近代の悪癖とされるものとは全く別のものとして、自己への配慮、自己と自己との関係を描こうとする。
1980年代のフーコーは、この自己への配慮をつねに他者への配慮に結びつける
自己と自己との関係からスタートするけれど、それをつねに他者関係や共同体との関係と呼応させるやり方で、近代の思考が陥る二項対立を逃れようとする
自己への配慮ととっての他者との共同体
出発点を個人に置くことで共同体との関係に困難を生じる、近代の発想から距離を取る
フーコーは自己への配慮を論じる際、古代を話題の中心とする。その考察は古代ローマからはじまる
1980年代の講義で彼は古代ギリシアからローマへと古代の数世紀を自由に縦断する。
最後の2年の講義は、冒頭にカントの啓蒙の話を配し、つづいて古代ギリシアのソクラテス、プラトン、キュニコス派を行きつ戻りつしながら論じるという大胆な構成となっている
プラトンのシュラクサイ行きをめぐるエピソード
ミシェル・フーコー『ミシェル・フーコー講義集成12』 自己と他者の統治 コレージュ・ド・フランス講義1982~ 1983年度
ソクラテスの死をめぐるエピソード
ミシェル・フーコー『ミシェル・フーコー講義集成13』 真理の勇気 コレージュ・ド・フランス講義1983 ~ 1984年度
古代ギリシアへの言及が、自己関係 — 他者関係 — 政治共同体との関係という三者のからみ合いをどのように描いているかについて
なぜこうした内容の講義の冒頭にカントと啓蒙という一見突拍子もない話題が置かれているのか
啓蒙、近代性、そしていまをめぐる哲学的思考という観点から述べる
(省略)
彼らは政治に直接関わり、そこで政治家として役割をはたすのではない。そうではなく、自己に配慮することを他者に説きつづける中で政治的な場に巻き込まれていくのだ。
自己にどのように配慮すべきかを語るということは、必然的に他者にそのことを伝えること、他者へと関わることが含まれる。また自己への配慮には、共同体の中でどのように振る舞うことが自己に配慮することになるかについての教えが含まれる。
他者と共同体は自己に配慮するための不可欠な要素なのだ。他者への態度、そして共同体への態度を抜きにして、自己に配慮しているかどうかを判断することはできない。
パレーシア
真理を説く者は、口先だけでなくそれを実践しなければならない(これが古代世界における「パレーシア」の実践である)。そしてその実践は他者への働きかけであるとともに、ときに他者からの介入への反発となる場合もある。
ときには相手にとって快くない言葉を含み、しばしば政治的な意味を担わされ、あるいは反抗的なふるまいと取られ、身の危険を伴う。自己に配慮することを他者に説き、他者と関わるということが、ある種の政治と権力に巻き込まれる行為であることを意味する。
ここでフーコーが描くのは次のことだ。自己と関わるための形式、自己といかに関わることが自己への配慮に必要か問う営み、は、他者と関わり共同体に対してどのような態度を取るか、つまり倫理や政治と必ず結びつくということだ
自己への配慮とカントの啓蒙の関係
これと、カントの啓蒙との関係について
フーコーはカントにとっての啓蒙を、自らが生きる現在とこの場所について意識することとして捉えた。われわれは今どこにいて、どこに向かっていくべきなのか。この問いはカントにおいては、自律の問題、他者に依存せずに自己と関わるという最も重要なテーマと結びついていた。
それと同時に、その自分がいま生きている場所、ある特定の時代と場所をどう理解し、そこからどう出ようとするのかの問いでもあった。
カントの批判哲学を啓蒙という時代意識、近代性とは何か、何をすることかについての考えとつなげていくことで、
フーコーは、自己への配慮という古代以来脈々と受け継がれながら注目されることの少ない哲学的伝統と、啓蒙における自律の問題とを、結びつけようとしていた。
自らの試みを、近代性の継承、カントの啓蒙(「いま」への自覚とそこからの離脱の試み)の延長として位置づけると同時に、自己への配慮の考察という連綿とつづく哲学的営みの系譜を示し、それを現代において再び取り上げるための出発点としたのだ。
ここで啓蒙とは、「いま」という時代、そこに生きる存在としての自己の特異性を、その「いま」に固有の他者にや共同体との関係の中で捉える営みと不可分なものだ。このように自己を捉えたうえで、そこから「脱すること」こそが啓蒙の運動ということになる
参考文献
https://gyazo.com/33e1335a2b849cacb3af564a4a8a08e1